いつものスーパーの茶葉の棚で、いつものほうじ茶が見当たらない。そんな小さな異変が、いま各地で静かに起きている。原因は意外な場所にある。ニューヨークやロンドンやドバイのカフェで、抹茶ラテが飛ぶように売れているせいだ。地球の裏側の流行が、日本の食卓の当たり前を揺らしはじめている。
老舗が、定番を「やめる」と告げた
象徴的な動きがあった。創業三百年を超える京都の茶舗・一保堂茶舗は、2026年2月19日、一部商品の販売を3月1日から制限・終了すると告知した。対象になったのは、極上ほうじ茶や玄米茶、番茶を使った定番の品々。派手な高級品ではなく、日々ふつうに飲まれてきたお茶のほうだ。
同社の説明によれば、背景にあるのは世界的な抹茶需要の急増だという。抹茶の原料である碾茶(てんちゃ)の値が上がり、多くの茶農家が畑を碾茶づくりへと切り替えた。その結果、番茶など他の日本茶に回る茶葉が減った。碾茶の原料価格は前年比で約2.6倍、番茶の原料も1.3〜1.8倍に上がったとされる。抹茶が儲かるほど、ほうじ茶が作られなくなる——そんな連鎖が起きている。
参考: 一保堂茶舗の供給制限に関する公式告知。
出典:Ippodo Tea「Important Notice: Industry Supply Shortages and Upcoming Restrictions」(2026.02.19)
「史上初の抹茶不足」と、海外は書いた
この現象は日本国内だけの話ではない。海外の食品業界メディア Perfect Daily Grind などは、2024年後半から続く抹茶(碾茶)の不足を大きく報じてきた。関連団体はこれを「史上初の抹茶不足」と表現しているという。記録的な猛暑が宇治の高級碾茶の収量を大きく落とした一方、世界の抹茶需要はここ数年で桁違いに伸びた。茶樹が十分に育つには一般に五年ほどかかるといわれ、畑を増やしても供給はすぐには追いつかない。
市場規模で見れば、世界の抹茶市場は2023年の約43億ドルから、2030年には70億ドルを超えると予測されている。日本の緑茶が、完全にグローバルな商品になったということだ。TikTokやリールが、抹茶ラテやドバイチョコ風の抹茶菓子を世界中の「憧れの一杯」に変えていった。
参考: 世界的な抹茶不足に関する海外報道。
出典:Perfect Daily Grind「There's a matcha shortage in Japan: Where else can it grow?」(2025.09)
ローカルが世界の通貨になるとき
ここにTONEは、ひとつの皮肉を見る。世界が日本の文化を愛してくれるのは、本来うれしいことのはずだ。けれどその熱が一定を超えると、その文化を日常として生きてきた人たちが、価格ではじき出されることがある。抹茶を毎日点てていた国で、ふつうのほうじ茶が手に入りにくくなる。憧れの対象になるという栄光には、地元がその手触りを失うという代償がついてくる。
これは、TONEがずっと見てきた「火は売り場でつく」という話の、少し苦い続編でもある。ローカルな宝物が世界の通貨に両替された瞬間、その相場を決めるのは、もう地元ではなくなる。古着でも、純喫茶でも、いつか同じことが起こりうる。愛されることと、独占されないこと。そのあいだのどこかに、文化が長く続くための線がある。
次にカフェで鮮やかな緑の一杯を頼むとき、その裏側で動いている大きな流れを、少しだけ想像してみてほしい。一杯の抹茶は、いまや世界とつながっている。